松阪観光ガイド

松阪肉だけじゃない!地元民が厳選の松阪ウォーキング

意外と地元以外で知られていないこと…

  • 松坂城跡がある
  • 松阪は城下町だ。見学可能な武家屋敷が現存している。
  • 近代日本の礎を築いた大商人の発祥地だ。見学可能な商家も現存している。
  • 奈良の大仏建立は松坂から産出される豊富な水銀抜きでは不可能だった。
    (建立当初、大仏は金メッキされており当時のメッキ技法に水銀は不可欠な補助材料だったため松坂の水銀は大活躍した。)

松阪クイズ

松阪、松坂、どっちが正しいの?
蒲生氏郷(がもううじさと)の開府以来使用されていた「松坂」は、「大坂」が「大阪」に変更されたこともあり、明治22年(1889年)の町制施行の際に「松阪」に統一され、現在に至っています。
読み方はまつさか?まつざか?
江戸時代から「まつさか」または「まつざか」の2通りの読み方が存在していましたが、平成17年(2005)年1月1日の市町村合併に伴い、読み方を「まつさか」で統一しました。
本居宣長の名前は聞き覚えがあるが何をした人なの?
本居宣長(もとおり のりなが 享保15年5月7日(1730年6月21日) – 享和元年9月29日(1801年11月5日))は松坂出身、江戸期において最も著名だった日本史研究家であると同時に医者でもあった偉人です。t
至る所で陶器の鈴を見掛けるが由来がわからない。
多くの松阪人が今なお愛してやまない国学者 本居宣長がコレクションしていたことから彼の偉業をしのぶシンボルになっています。
「北海道」を命名した人が松阪出身の人って?
その名は松浦武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) – 明治21年(1888年)2月10日)江戸幕府から明治政府に時代が移り変わるなか、当時の蝦夷地先住民族との調整に奔走しました。また、蝦夷地先住民族の文化風俗紹介を主な内容とした文章、挿絵を織りまぜた自筆による書物も発刊しており三重県庁の見解では「近代ルポタージュの最高峰」とまで言わしめています。

これらの謎を追って、あなたも松阪市「まちなか まちあるき」に出かけてみましょう。

きっと新しい発見、そしてもっともっと松阪が面白くなりますよ。

今、我慢できない方は設問左の+をクリックすると解説が出ます。

松阪まちあるき

所要時間は徒歩約3時間。

松阪市産業文化部 観光交流課さんの提供です。